2006年09月08日
今日ねこ。:残暑お見舞い。
夏の日中、出歩いてる猫はいない。
ということで皆さんいかがお過ごしでしょうか。残暑の季節なので、残暑お見舞いです。今回は残暑の夜に涼しくなってもらいたい、コワめんこい猫特集です。
…いや、特集ってほど集めた訳ではないのですが、ずっと前に旧式のPowerShotでフラッシュ炊きまくりで撮影したらこんな恨みますな猫ちゃんたちが取れた訳です。ほんとごめんなさい。冷夏のためお蔵入りしているうちに、夏が終わっちゃいましたね。
押すと別窓でおっきくなりますよ。では、どうぞ。
くわ!
もーん…
何か用かい…?
陰からいつも見ています…
あたしの眼を見なさい…
そして極めつけ…
てゆうか、近況です。連載用のたたき台のネームがやっと出来ました。キャラクターがやっと生きて動き出したので、たたき台の反省点や改善点、なにより良かった点をを元に物語を組み立ててあげたくなってうずうずしています。
昨年の今日のエントリーは私の誕生日の報告と同時に、きみのカケラ五巻のネームが完成した報告でした。現在の進行はネームの完成はまだなのですが、完結に向けて全体の構想を仕上げているところです。連載をしている作品ではないので、この設計をちゃんとしないと単行本のバランスが悪くなったり、皆さんに伝えたいイコロやシロのがんばりが伝わらなくなってしまったり、削らなくてはいけなくなってしまったりするので、慎重に進めています。構想を進めている間にかえって構想が膨らんだりして困りつつ喜んでいるところです。早く皆さんに新しいキャラクターやシロとイコロの活躍を見せたくてわくわくしています。
トムソーヤの単行本作業もコツコツ進めていますので、ゆっくり楽しみにしていていただけると嬉しいです。
前のエントリーにコメントありがとうございました。
『盆踊りの謎。』
GOTHさん。ちびさん。前田銀さん。せろさん。謎がちょっと解けました。
小さい頃の、地域のこつこつとした練習が大事なのですね。やっぱり。子供の頃と言えば、盆踊りよりフォークダンスの方が習った記憶がありますね。マイムマイムとか、オクラホマミキサーとか、月並みですが、女子の手は先っぽのほんの少ししかつままなかったりして。「マイムマイムマイムマイム、サルの×××ー」と歌って爆笑してた小学校低学年の同級生だったみんな。子供の頃って、寒いよね…。
『考える日』
このブログは論議する場ではないので個々のご紹介はしませんが。たくさんのご意見、楽しんで読ませていただきました。ありがとうございました。一番新鮮に思ったのは、「no war」と言う考え方についてのお話です。今の若い人の心の中には、戦い、戦争は避けられないもの、問題はその時、人を殺す選択をするか、殺さずに陵辱されるのか、その二択、それが「no war」か否かなのだと考える方が少なからずいることを改めて思いました。とても追いつめられて切実な心だと感じました。心の奥底の気持ちを正確に文章にすることなど誰にも出来ることではないのですが、私なりに、不完全なりに言葉にするとしたら、私の考える「no war」は「戦わない選択」のことではなく、その先の「戦う、戦わないの選択が必要のない世界」のこと、その実現に対して小さな個人として、市民として小さな考えを積み重ねて行くことを表しています。そう思っています。やはり不完全ながらも…もちろん人の歴史が始まってから、戦争、紛争が途切れた歴史などないことを認識した上での、悔しく思った上での、願いと言い換えてもいい気持ちです。日本という、世界的には多くの人々が、名前くらいしか聞いたことが無いくらいの認識だと思われる、消えそうな小さな国の漫画家として。その作品がヨーロッパ、アジア、北米、南米、ほんの少しですが世界の幅広い環境の方に読んでいただいている、その読者の方、一人一人のの命を感謝とともに心配する著作者として。作品を通して直接繋がり合っている、漫画家として。国という区分けも違い、会ったことも無く、距離も遠くても、身近な人が一人でも傷つくと当たり前に心配し、悲しくなる個人として。この国を含めた「世界」に対して思うこと。そのことが私の言う「no war」と…納得はできなくても、やはり少しでも認識していただければ嬉しいです。
『北海道民夫婦のつぶやき』
ユースケさん、ねこぽちさん、ちびさん。小さなつぶやきに大きな応援ありがとうございました。
ジョセフへのコメント、YOSHITOMOさん、ちびさん、柊さん、本当にありがとうございました。嬉しかったです。今の所ウチの大学では特に動きがなさそうなので、近いうちに集まれそうな同期を誘って、飲みつつ弔いが出来ればななんて思っています。
では、…すいません。仕事します。
しん
きみのカケラ5巻。ネーム終わりました。...しん
盆踊りの謎。...しん
考える日。...しん
北海道民夫婦のつぶやき...しん
2006年08月15日
考える日。...しん
この日、例えば日本国内だけでも、様々な動きや発言があります。
この日、年齢だけはもう大人や老人といえる人たちが子供のような行動をとり、子供のような虚勢を張り、子供のようにものをいう人がいる。
どうか、それを観ているたくさんの人たちは。冷静に、今日起こる様々な子供達の行動を、様々な子供達の発言を、聞いていてほしい。静かに、しかし冷めない心で、観ていてほしい。
答えなど出るはずのない問題に、答えをしゃべる人を見ていてほしい。
事実だけで言えば。今日は、61年前に、この国で、家族や、自分が、人を殺さなくて良くなった日。そして、この星で、つい昨日の停戦の知らせに喜ぶ子供達の隣で、いつかまた殺さなくてはいけない知らせが来るのを待つ大人がいる日。
本当の子供は、馬鹿ではない。冷静に大人たちの姿勢を観ているはずだ。どんどん冷めていく感情でも、無力感でも、それでも大人たちを観ているはずだ。
どうかあきらめないでほしい。
考えることを。
今日は、考える日です。
心が、震えるための日です。
しん
2005年10月28日
声。...しん
戦後生まれの私には完全にわかることはないのですが、先人の声に耳を傾け、想像力を駆使して考え続けていたいと思っています。
「戦前のような不安と恐怖」 沖縄戦体験者
しん
2005年10月02日
バリ島連続爆破の犠牲者の方に
2002年の事件からまだ間もないのに再度多くの方の命と生活が失われました。被害にあった方、そのご親族の方にはお悔やみ、お見舞い申し上げます。
今回も各国の首脳がいち早く「テロとの戦いを続けていく」と表明しましたが、戦争も同じ事ですが、「テロ」、「敵国」の向こうにいるのは、やはり人間です。人と人が戦いを続けてこの星から戦いが一度でも消えた歴史はありません。その上には多くの私たちの犠牲があることを知りながら人類が学習効果を持たないことに、とても大きな無力感を感じます。
戦いのある世界を背景にした物語の著作を持つ私たちは、出来ることは漫画を描くという小さな事だけですが、これ以上この星の上で、救えるはずの痛みが増えないよう、祈っています。
高橋しん・しんプレゼンツ一同
投稿者 スタッフ@しんプレ : 12:15 | コメント (2)
2005年09月24日
「彼らがウソをついた」 ...しん
<イラク反戦広告>全米15紙に掲載「彼らがウソついた」「彼らがうそをつき、彼らが死んだ」。 22日付の米ワシントン・ポストなど全米15紙にイラク反戦団体「ウィン・ウィズアウト・ウォー(戦争なき勝利)」のイラク戦争反対を訴える見開き2ページの広告が掲載された。新聞広告は左面が「彼らがうそをついた」という見出し。
ブッシュ大統領、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ライス国務長官の写真の下に「(大量破壊兵器の)ありかを我々は知っている」(ラムズフェルド国防長官)、「我々は大量破壊兵器を発見した」(ブッシュ大統領)など過去の発言録を引用、現実とのかい離を印象付けている。右面は「彼らは死んだ」と題する広告で、9月12日時点でイラクで死亡した米兵1900人弱の氏名が掲載され、「大統領、あと何人死ねばいいのか」と投げかけ、「ブッシュ大統領にイラク戦争をやめさせたい」と訴えている。
日本という国にすむ私たちも、私達全員でその意味や責任をやっぱり考えなくてはいけません。単純には考えてはいけない難しい問題だけど、当たり前ですが参政権があった私は特に、「いい、悪い」のその先を自分なりに考えようと思います。
しん
2005年07月24日
エジプト同時爆破の被害者の方に
エジプト同時爆破の被害者の方のご冥福をお祈りいたします。
また負傷者、ご家族の方にお見舞い申し上げます。
誤解を恐れず言うのであれば「テロ」の言葉は現状では「敵」の言葉と変わらず、相対的なものに過ぎないと考えます。こうした事件が何故起こり続けなければならないのか、を思う時「テロに屈しない」「テロとの戦い」この、多くの国の指導者の言う「テロ」を「敵」と読み替えればわかりやすいと思います。「テロ」と呪文を唱えれば、反省も、善悪の区別もなく許される時代が早く終わって欲しいと願っています。
ロンドンで警視庁によりテロ犯として頭部に五発の銃弾を受けて死亡した男性は、現在の見解では、事件とは無関係の市民だったそうです。
残酷や、悲しみや、痛みのリスクを引き受けるのは私たちだということを。殺されそうになったのも、殺しそうになったのも、やはり私たちなのだと言うことを。無力と感じても、出来るだけ自分たちの足下に近いところから、諦めずに考え続けていくことが出来たらと思っています。
高橋しん・しんプレスタッフ一同
投稿者 スタッフ@しんプレ : 07:20 | コメント (0)
2005年07月08日
ロンドン同時多発テロの被害者の方に
ロンドン同時多発テロの被害者の方のご冥福をお祈りいたします。
また負傷者、ご家族の方にお見舞い申し上げます。
山の頂を意味するというサミットという名の下に、同じ国の上に集まり、無力だった、引き返す事の出来ない指導者と呼ばれる方々が、心のどこかで怒りよりも人としての後悔を感じる瞬間があるはずだと、信じたいと思っています。
同時に、その人たちや、何も出来なかった私たちの犠牲になったたくさんの痛みが、いつの日か恢復する事を祈っています。
高橋しん・しんプレスタッフ一同
2003年03月20日
:::::::: no war ::::::::
:::::::: no war ::::::::
私はおよそ反戦を訴ることができるような正しい人間ではありません。
今もこうしてテレビを横でつけながら、漫画を描いて仕事をしている人間です。
今もこうして単行本の構成などに頭を悩ませていたりする人間です。
自分なりに訴えたいことは表現者として作品の中で訴てきたつもりです。
けして、「良い」「悪い」ではなく。そんなことではなく、ただ
今起きている戦争を、他人のせいと思わないようにしたいなと思っています。
メディアの報道を信じるのであれば
今あそこで人を殺そうとしたのは私たちなのだと言うことを
不十分なりに感じようと耳を傾けています。
この国が生まれてから脈々と受け継いできた歴史の、
私が生きている「今」というその頂点で、
こうした選択をした私たちを悔しく思っています。
私たちの国は、またやりました。
悔しいなと思っています。
2003.3.20 12:05 高橋しん