者の皆さんへ。

 えーーーと。最初に、私事で申し訳ないのですが、私のじーちゃんが11月11日夜、亡くなりました。88歳です。「いいひと。」の最終回を描き終えて、もろもろの後片付けをしてから、飛行機に乗り、病院に妻と駆けつけてから、5分くらいのことでした。みんなからは「待っていてくれたんだ」と言われました。悲しい中に、うれしいと思いました。

 

11月9日の月曜日、午前零時頃「いいひと。」を描き終えました。五年半もの間、皆さんを始め、スタッフや、編集部、妻、たくさんの方々にささえられ、大団円を描き上げることが出来たこと、本当にうれしく、恵まれていたと感謝の気持ちでいっぱいです。
 終了を決めてから一年半もかけて、何とか言いたいことを描き切ろうと思って四苦八苦してきましたが、力が及ばないことが多く、充実していたと同時に、週刊連載の難しさ厳しさを感じた五年半でもありました。

終話の前の回は、「いいひと。」連載を始めたときに思い描いていた最終回の形です。当時、友人の漫画家、藤澤勇希さんや、藤野美奈子さんとお酒を飲みながら話したのを覚えています。

 最終話は、LCチーム編を描き終えたときに「いいひと。」の方向性を決めてから、数年間のうちに確信して行ったお話です。
 「いいひと。」は、最初から連載作品として考え出されたものではありませんでした。当時「新鮮力シリーズ」という、新人による五話の短期集中連載の企画があり、そのオーディションに出したのが「いいひと。」の第一話でした。幸いにして、オーディションには通ったのですが、通ったその直後、原因不明の病気で倒れてしまい、その話は流れてしまいました(周りからは働き過ぎだと言われました(笑))。半年間まともにしゃべれないし歩けないような生活でしたが(もちろん絵も描けなかったです)、原因不明のまま病気は回復し(笑)、その後リハビリを兼ねて描いた短編二本も評判が良く連載の話をいただきました。
 当時スピリッツには自前の作家はおらず、新人は原作をつけ連載させるのが主流でした。私にもある有名な原作者のかたと組ませて、編集部の用意した設定で連載をという話でした(借金を背負った少女がゴルフでうんぬんと言う話でした(笑))が、そのとき編集部の何人かのかたが「高橋しんにはオリジナル作品で」と言ってくださり、その時に推して下さったのが、一年前に描いた「いいひと。」の第一話だったのです。

 本来は五話で終わってしまうかもしれなかった作品が病気になったおかげで、結果的に本格連載として載ることになった....何となくこんなところにも、ゆーじの楽観的な性格が出ているのかもしれません(笑)。

 その時点では、「いいひと。」のストーリーはまだ四話までしか考えていませんでした。ゴールは決まっているものの、それまでの道はいろいろな方向に展開する可能性がありました。
 漫画のタイプはいろいろあります。スポーツものによくある、とにかくどんどん引いていく作品。主人公を取り巻く一定の人々のサークルの間でエピソードが起こり、話を作っていく作品。一巻から二巻にかけてはどんなタイプにもなれるよう、話を構成してきました。そして、作品を描いていく中で、「引き」のスタイルはやめて、章ごとに完結させて行くスタイルに決め(新人研修の合宿が「そんなわけで------研修最終日」とかで、ぷつっと切れているのはそのためです(笑))。LCチーム編以降、サークルは作らず、どんどん新しい人たちの中へゆーじが入っていき、その章の主人公が大切なものを思いだしていくというスタイルになり。そして、LCチーム編のクライマックスには、主人公であるゆーじが北海道に帰ってしまい、わき役である有森さんが主人公になりかわり、七話分もストーリー展開するという形を試してみました。
 作品のテーマが「ものごとの常識やノウハウに縛られないで、もう一度人として本当にいいことを思いだすことが出来たら」だったからでしょうか?、この常識から外れた展開も皆さんに気持ち良く受け入れていただけて、私は今後の「いいひと。」の流れを決心し、信じることが出来ました。
 すなわち、主人公であるゆーじは言ってみれば媒体であり、本当の主人公は他のキャラクターすべてであること。ゆーじが最初に妙子に言った「おれは、変わらないから」を体現する形にすること。

 「いいひと。」の「。」の由来を連載が始まってからいろいろな方にお話しましたが、ゆーじを表す「いいひと」ではなく、言葉としてのいいひと、つまり「ゆーじの周りの、作品の中の確かに生きているたくさんの人々、その環境」それが「いいひと。」なんだと言う思いです。主人公を、数年間かけて、どんどんごく当たり前の、人の中に返していこうという考えです。そして最後は、主人公を本来わき役になるはずの、ふつーの人に、本来主人公であるゆーじと妙子はわき役に、そういう話を描きました。
 ゆーじは自分たちに身近な「人の中に」帰っていった。次は自分だ。何人かでもみなさんにそう思ってくれる人がいればいいなと、願っています。

 メジャー誌の話としては存在の危うい、こんな話を、根気よく載せ続けて下さった、スピリッツの懐の深さに感謝しています。また、後半に至っては、担当して下さっている小室様が、いろいろなものから盾になって下さったのだと、感謝というより、申し訳ない気持ちでいっぱいです。初代担当の中熊様の苦労も身にしみて感じています。ありがとうございました。

直に言うと終了を決めた直接のきっかけは、テレビドラマ化でした。関西テレビ・共同テレビのかたにドラマ化の許可を出すための条件の中に、ゆーじと妙子だけは変えないこと、という一文がありましたが、多くのかたが感じたように、ゆーじは変え「られて」いました。
 私は、もうこれ以上わたし以外の誰にも変えられずに、読者の方々の中の「いいひと。」を守ること、そして同時に多くの読者の方に悲しい思いをさせてしまった、その漫画家としての責任として私の生活の収入源を止めること、その二つを考え連載を終了させようと思いました。

 ここで誤解しないで欲しいのは、決して作品を描くという「責任」を放棄したわけではないということです。そのことは、終了を決めてから描ききるまで約一年半の月日がかかっていることで、判っていただけると信じています。終了を決めた当時の予定では、一年間かけて、しっかりと「いいひと。」を描ききるつもりでした。結果的にはそれからさらに半年かかってしまいました(笑)。
 後半には「伝えたいことを描き切るためには連載枠の18ページでは楽しさと、言いたいことと、絵と、演出、ストーリーのバランスが思うようにとれない」と、20ページ、24ページついには30ページとページを増やしてもらいました。会社の経営やリストラなどのことを勉強しながらのその作業量は担当さんやスタッフの懸命のサポートなしには到底乗り越えることが出来ないものでしたが、それでもなお、ここまでよく育ってくれたキャラクター達への想いはページに収まりきりませんでした(時にはそれでも読者の方の中には、間延びしている、手を抜いていると言う方もいて、正直つらかったです(笑))。嵐のような一年半でしたが、「終わるために描くのではなく、描くために終わるのだ」と心を励まし描きました。
 結果はどうあれ、テレビ化を許可した当時の気持ちの中には「ここまで四年間も精一杯描いてきたのだから、「いいひと。」は読者の中にしっかり存在しているのではないか。このまま何年かして終わる前に、読者への恩返しとして、読者の周りのたくさんの人に「いいひと。」を知ってもらえれば、私も読者のかたも納得して新しい漫画に向かっていけるのではないか」そういう思いが有りました。その意味では、今は新しいものに向かう踏ん切りがつく、そのきっかけにはなったのだと、素直に良かったと思えます。

 テレビドラマを気に入ってくれていたかたには、ごめんなさい。私は第一話目しか見ていないんです。でも、ごく一部の不誠実なひと以外のドラマスタッフの方々の、良い作品を作ろうとの思いに対して、またその結果うけられた多くの視聴者の方々の支持には心から祝福いてします。また、一部の週刊誌で報道があったようにテレビとの間にいざこざがあったわけではありません(笑)。最初に約束があり、結果的に約束が守られなかったから、約束通り原作を降りた。それだけのことだったんです。関西テレビのプロデューサーのかたから読者の方に対して、「現場が走りすぎたのを押さえることが出来ませんでした。申し訳ありません。」と言う謝罪の言葉も編集部を通してうけとっています。
 重ねて、一番の責任者である、私からも謝罪いたします。

 「皆さんと作った大切な作品を守れなくて、申し訳ありませんでした。」

了を決心したもう一つの理由は、新人漫画家としての可能性を試してみたいと言う気持ちです。
 もちろん今の私にとっては、もう前者のドラマうんぬんよりこっちの理由のもつ意義の方がずいぶん大きくなってしまっているのですが。

 大学を卒業した年にデビューして八年。私の初めての連載作品である「いいひと。」を始めて五年半。それでも、自分の中ではまだ「新人漫画家」だと思っています。
 私は漫画家であると同時に漫画ファンでもあります(それを職業にしてしまうほどです(笑))。自分の気に入った作風の新人漫画家さんを見つけるとほんとにうれしく、また、楽しみです。同時に、その人たちがある意味プロになり、「地に足がついて」いってしまうのが寂しくもありました。私も、まだ新人漫画家として皆さんが新鮮な可能性を期待して下さっているうちに。まだ地に足のつかない、頼りない自分のうちに。今、しておかなくてはいけないことが有るのではと思いました。妻も、生活の方は何とかなるから心配しないでと、言ってくれました。たとえ漫画家でなくなってもいいよ、と。
 「いいひと。」を続けながらチャレンジしてみては?と言ってくださる方もいましたが、なんて言うか・・私は二つのことを同時にできない性格(体質?)みたいなんです(笑)。連載前は短編を年四本(お蔵入りを数えたらそれ以上)かいていた私が、連載中に描いた短編は五年半に六本だけです(そのうちの三本は「いいひと。」の番外編「ゆーじ先輩」「妙子先生」「幸せになろうね」です)。

 もう一度、短編作家であった自分から始めてみようかと思いました。

 こんな私のわがままを聞いて下さって、連載終了を認めて下さった編集部のかたには、心から感謝しています。

 新しい作品については、まだどんなものになるかも、どんな雑誌に載せていただけるかも、決まっていません。出来たら、短編集や、イラスト集などを出してみたいとも思っています。

は最近漫画家には二つのタイプが有る気がしています。作品を作っていく者、そして、作品を残していく者、です。私はこれから後者として、後ろを振り返り、いろいろなものを確認し、残していこうかと思っています。それからまた前者となって前に進んでいこうかと思っています。

 もしよかったら、これからも「高橋しん」と「SHIN Presents!」をよろしくお願いします。

 

 週刊連載を読んで下さっていたみなさん、長い間、本当にありがとうございました。

 

 平成10年11月20日    

高橋しん